今月紹介する本~11月~
今月紹介する本
【ものがわかるということ】を読んで
感覚的に捉えるのが苦手な現代人
現代人は総じて、感覚的に捉えることが苦手な人が増えています。情報化社会では、社会が感覚を消していく方向に進んでいくからです。
私は講演でよく、こう話しかけます。「皆さん一人ひとりが見ている『養老孟司』には、一つとして同じものはありません」。座っている場所も違えば、見ている人の背の高さも違うのだから、当然です。ところがそのように「違う」ことを忘れてしまっている人が多い。感覚が鈍るとはそういうことです。
感覚は身体的なものです。リンゴが二つあれば それぞれ違うと感じるのが感覚です。あるいは、三人が一つのリンゴを見ても、三人それぞれ見え方が違うのが感覚です。それを「一つのリンゴ」と認識するのは、概念の力です。
感覚が落ちると、言葉や概念の重要性にも気づけなくなります。感覚が抜けた人たちは思考のすべてが言葉から始まってしまう。初めに言葉ありき、になるのです。
私の「寒い」と他人の「寒い」は、感覚としては同じはずがありません。身体が違うのですから、感覚を共有することはできない。人によって感覚はそれぞれです。しかし、「寒い」という概念を共有できなければ、話は進みません。だから「寒い」という言葉が必要になるのです。
こういうふうに感覚の世界は人それぞれ全部違うということがわかっていれば、言葉を「ありがたいもの」だと感じます。感覚ではわかり合えなかった事柄を共有できるようになるからです。
ところが概念的思考だけが肥大してしまい、言葉の世界から始まってしまうと、そのありがたさがわからなくなります。話が逆になる。通じることが当然であると思い込んでしまうのです。
そうすると、通じないことのほうが大量にあることになかなか思い至らなくなります。だから、ちょっと通じないだけで不安になる。あるいはわかってくれないと文句を言う。
結果として現代の人は人間関係まで明文化して、細かく決めなくてはいけないと思っています。人間関係も情報化すればいい。そうすればうまくいくと思っているようです。結果として、ますます感覚は落ちていく。その慣れの果てがSNSです。
著書:ものがわかるということ 著者:養老孟司より引用
今回は、養老孟司さんの著書「ものがわかるということ」を紹介させていただきます。
僕たちは世界や社会、ヒトをどう「わかる」ことができるのか…もしかしたら「わかった気になっている」のか…あるいは「わからない」のか…
この本を読んで思ったことは、頭でっかちな「わかった気」から抜け出して、身体で世界を「わかる」感覚を呼び覚ましてくれる本だと感じました。
興味のある方は是非手に取って読んでみてくださいね!
感覚が落ちると、言葉や概念の重要性に気づけなくなる