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今月紹介する本~5月~

今月紹介する本

【熟達論】を読んで

 

人間にしかできないこと

ひとつの技能を極めていくことは、目的とされるものに最適化することでもある。例えば仕事とは何かの機能を果たすことであり、良い仕事をするには仕事の役割に自らを最適化することが求められる。ネジを締める時に、ドライバーを使うのが最も効率が良いように、いつも安定して質の高いパフォーマンスが発揮できることが良いこととされてきた。だが、その最適化だけを求める技能は機械にとって換わられつつある。

どの分野でも問われ始めたのは、人間にしかできないことは何か、だ。合理性を追求してきたのは私たち自身なので皮肉ではあるが、機械にやらせるのが最も合理的であるとしたら人間は何をやるべきなのだろうか。新しい技術に対して投げかけられる「何の役に立つのか」という問いはこちらに投げ返された。人間の存在意義とはなんだろうか、という問いだ。

私は熟達こそが「人間にしかできないこと」を理解する鍵になると考えている。機械と人間の最大の違いは「主観的体験」の有無だ。私たちは身体を通じて外界を知覚し、それを元に考え行動している。思考し行動する部分はいずれ機械が行えるようになるかもしれないが、知覚は身体なしでは行えない。私自身のバックグラウンドがアスリートであることも影響しているが、人間と機械を分ける決定的な差だと考えるからでもある。自分の身体で外界と内部の変化も感じ取り、試行錯誤しながら上達し、上達している自分を内観する。この一連のプロセスから得る「主観的体験」こそが人間にしかできないことではないか。

熟達していく過程で、私たちは夢中という状態に入る。この状態では外界の感じ取り方も変容し、リアリティが一層高まる。熟達のプロセスで遭遇する夢中の瞬間こそが人間の生きる実感の中心だと私は考えている。それは他ならぬ「私」を通して、世界を感じていくプロセスでもある。考える私より、感じて動く私に「人間にしかできないこと」が潜んでいるのではないか。

 

著書:熟達論 著者:為末大より引用

 

 

今回は、為末大さんが編訳した「熟達論」を紹介させていただきます。

この本に書かれているのは、スキルなどの表面的な学びの内容ではなく、人生において「人はどのように学ぶのか」という、奥深い学びの本です。

熟達とは人間をそのままの存在としてとらえて学習していくことであり、技能と通じて「私」の扱い方を学び、私を通じて「技能」が追求されていくことと書かれています。探求プロセスに「遊」、「型」、「観」、「心」、「空」の5段階に分けて説明されていて、最終的にゾーン(空)に入ると、これまでの学びが解放され、本人不在の感覚になる…という著者の考察はとても面白かったです。

最後の海辺でこどもが砂遊びのエピソードはとても素敵だと思うので、興味のあるかたがぜひご一読を!

 

「学び」そのものが「娯楽化」するのが熟達の道

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